代表対談 2023
まむ:団体創立から6年目、そしてアイデアソンの開催が5回目ということで、これまでの学生団体WAKA×YAMAを振り返るべく、歴代の代表の方々に集まっていただきました。本日は「自身の代のテーマについて」「自身にとって学生団体WAKA×YAMAとは」をテーマにお話ししていただきます。
本日はよろしくお願いします。
みんな:お願いします。
まむ:早速七海さんからお聞きしていこうと思います
七海さんはこの団体を2018年に創設されたと思うんですけれども、どういったテーマで取り組まれましたか
ななみ:2018年は「発達障害の二次障害をなくす」というテーマで取り組みました。発達障害は脳機能の障害であり、周囲の理解が得づらいが故に、「二次障害」を引き起こすことがあります。「なんでそんなこともできへんの」「なんでそんなことにこだわるの?変わってるね」と思われて、自尊心が傷つき、就職してもやめざるを得なかったり、その子はすごく頑張っていても不登校になったり、別にその人は何も悪いことをしていないのに、社会の器が小さいが故に、苦しんでいる人がいる、ということにすごく怒りを覚えて、気づいた時には動き出していました。
さらに年々、発達障害と診断される子どもが増えており、「大人の発達障害」が注目されるなど社会的な関心が高まっている時だったので、今、取り組むべきだと思っていました。
まむ:ありがとうございます。1年間アイデアソンで発達障害っていうところに取り組んでみてどうでしたか?
ななみ:やって良かったな、と思いました。
関わってくださった色んな立場の方から、反響をいただき、それぞれの人たちにとって意味があったということが分かり、すごく嬉しかったです。
発達障害のある当事者の方や、家族など支援者の方からは、「当事者では無い人たちが関心持ってくれて嬉しい、取り上げてくれてありがとう」という声を頂きました。
中高生にとっては、少しでも誰かのために何かしたいとくすぶっている子たちが、「ここまで出来るんだ!自分たちがやりたいと思ったことに、ここまで協力してくれる人たちがいるんだ」と感じてもらうことができました。
大学生にとっては、和歌山県初の試みで右も左も分からなかったと思いますが、全力疾走な私に振り回されつつ、は楽しんでくれていたと思います。正直、初年度は私に余裕がなく、決して丁寧なコミュニケーションができていた訳では無いので、どこまで本音を聞けているか分かりません。しかし、設立当初から6年間ずっと運営メンバーとして関わってくれている大学生もいて、きっと、そういう大学生にとってはいい経験だったのだと思います。
アドバイザーの方々からは、WAKA×YAMA SUMMER IDEATHONの仕組みがすごい!と言っていただけたり、個々人の熱量の高さに驚きの声があがりました。
そして、シンポジウムに来てくださった地域の方々からは、「学生がこんなに頑張ってるんだから、私たちも何かしようよ!」という声があがり、その後新たなプロジェクトが生まれました。
このように、様々な立場の方々からそれぞれの反応を聞けて、私たちに触発されて地域の方々が新しい活動を始めていたり、地域が少しずつ良くなっている実感が持てたことが、私の始めたことは間違っていなかったなと確信し、その後も活動を続ける大きなモチベーションになりました。
まむ:ありがとうございます。
次は、2020年度のひなさんにお聞きしようと思います。
ひなさんの時は2020年っていうところで2回目 のアイデアソンだったと思うんですけど、どういうことをテーマにしたのか、またなぜそのテーマにしたのかについて教えて
ください。
ひな:2020年は「和歌山県民のメンタルヘルスを改善しよう」をテーマにアイデアソンを行いました。テーマの背景にあったのは、和歌山県が自殺率全国ワースト1位になったのに衝撃を受けたことでした。2018年、私自身が中高生として参加していて、大学生になってアイデアソンに運営として関わりたいと思って七海さんとお話ししている中で、自殺率がワースト1位というデータを知って。
気候もいいし温かい人も多い地元和歌山県で、どうして自殺を自ら選んでしまうほどに苦しむ人が多いんだろう、というところに問題意識を抱いてこのテーマに決めました。
まむ:ありがとうございます。
メンタルヘルスっていうテーマ を中高生と一緒にやるっていうところで、すごく難しい部分もあったりとかしたと思うんですけど、1年間取り組んでこられて、やってよかったなって思う部分とかってありますか?
ひな:そうですね、大きく分けて2個あります。
1つ目は和歌山県に対して生み出せた影響について。中高生がプログラム終了後も活動を続けてくれて、それが地域の人たちの中で今でも続くアイデアになっているのが、私にとっては何よりもやって良かったなと思うことの1つです。2018年に私が中高生として参加した際、アイデアを実装させた経験があったからこそ、絶対に私たちの代でもどのチームかに活動を続けてほしいと願っていました。
2つ目 は参加中高生自身への影響のところで。テーマがすごくセンシティブなものだからこそ、取り組んでいる中で中高生自身がしんどくなってしまうことが絶対にあってはいけないと気を配っていました。その上で、中高生自身が自分自身の経験した辛い思いを乗り越えて、社会問題に目を向けて課題解決に向き合ってくれて。「中高生の自分たちでも困っている人の役に立つことができるんだ」とか、「行動をすれば協力してくれる人がいるんだ」ということを感じ取って自分自身の成長につなげてくれたのが嬉しかったです。また、学校では習わないけれども日本人として知っておか なければならない社会問題って本当にたくさんあって。それをこれからの日本を 担っていく若い世代が変革していくことの重要性を、私自身アイデアソンに参加して実感してきたので、次の世代の中にそのバトンを繋げたのもとても嬉しかったです。
まむ:ありがとうござい ます。
次にりょうたさん。2021年度・2022年度代表を務めらていましたよね。テーマは2つとも大きく捉えると防災という感じだったと思うのですが、どうしてそのテーマにしたのか、またなぜ2022年度は避難生活というものに焦点を絞ったのかについてお話していただきたく思います。
りょうた:まず 2021でテーマを防災というものにしたのは、そもそも和歌山県にいる人で南海トラフ地震を知らない人ってほとんどいなくて。でも、防災やらなきゃいけないなっていうのはほとんどの人が分かってるけど、長続きしてないとか防災訓練の参加とかというものに参加していない人が多かったりっていうのがあって。それは防災や災害っていつ起こるかわかんないということに投資するとか頑張るということが、すごくゴールがないところに向かって走っている感じで難しいっていうところもあるんじゃないかなと思います。その必要なのは 分かってるけど動けてないっていう、その防災を変えるというところで、今までそ関わってこなかった、主体となってこなかった若者の力や若者のならでのアイデアが生かせるんじゃないかと思い、このテーマにしました。
この年っていうのは東日本大震災から10年であったり、熊本地震から5年っていうのもあって。自然災害の恐ろしさを知っている方々がいるのに、将来すごい大きな被害を受けると言われている和歌山県の人たちに伝わってないのがもったいないなと思うしこのままだったら和歌山県の方は後悔をするだろうし被害が大きくなってしまうんじゃないかっていうところ もあってこのテーマに決めました。
2021年に、1年間防災に取り組んでみて、防災というものが範囲がとても広くて、その分団体としてのゴールを少し絞りたいなっていう風には感じた1年でした。2022年、どういう風にテーマを設定しようかなと思った時に、過去の災害を調べていくなかで避難生活でなくなっている人がいることを知りました。例えば、東日本大震災では3000人以上の人が被災後の生活がなくなっていたり、その5年後の熊本地震では200人以上が災害関連死という形で亡くなっていて。特に熊本地震に関しては全体の犠牲者のうち8割が被災後の生活が原因で亡くなっているという数値も出ていました。もちろん地震の揺れや耐震、津波への備えで亡くなる人を減らすってのも大事だけど、被災後の生活にもっと目を向ける必要があるんじゃないかと思い、避難生活っていうところに取り組むことに決めました。
ちょうど世の中としてもコロナが落ち着き始めたところもあって。世界中ほとんどの人がコロナという一種の大きな災害にあって、半ばその避難生活のような、いわゆる非日常の生活っていうのを余儀なくされたと思う。多くの人がその不自由さや痛みというものを知っているからこそ、自然災害により生じる自由が効かない生活っていうところに取り組むことに決めました。
まむ:2年間やってみてどうでしたか?
りょうた:必要とされてるなって いう風に思ったかな。
和歌山県のところで防災に取り組みますと言うと、ほとんどの人たちが「僕もやらなかんな思ってたんよ」みたいな反応をもらったことが多かった。最初に話したように、防災ってやらなきゃいけないのは分かってるんだけどできていなかった人が多かった。そこに対して若い世代から動かしていくことに社会的な意義を感じた。だからこそ和歌山県ですでにその防災のことを取り組んでる人や被害を減らしたいと思ってる人たちをうまくつなげられたことも良かったと思うし、中高生が地域の方たちの前で防災に関して行動を起こせたことも良かったと思うかな。若者から和歌山県という社会を動かす上ですごくいいテーマだったのかなという感じました。
まむ:ありがとうございます。
りょうた:まむはどうして2年続けた防災からガラッと変わって周産期うつに今年取り組むことにしたん?
まむ:そうですね。社会的な背景で言うと、新型コロナウイルスの影響で産後うつの罹患率が上昇したこと、また父親・母親ともに産後うつの割合が上昇傾向にあることなどですかね。アフターコロナであったり、核家族化であったり。「親の社会からの孤立」というところが日常的にニュースに上がることも多かったように思います。
また個人的な理由で言うと、昨年姉が出産をして、甥っ子ちゃんが生まれたんです。その時に家族や友人含めて誰しもが「おめでとう」っていう風に声をかけていました。ですが、ニュースでは子どもへの虐待であったり、子育てが大変だと叫ばれていることも多くて。新しい命の誕生に対してはみんな「おめでとう」と祝福するのに、苦しんでいる人や困っている人がいる、というところにすごくもやっとした感情を抱きました。
そんな中、ふと自分だったら今の環境で子育てをしたいと思うのか、とあてはめた時に、私は産める自信がなかった。まわりのメンバーに聞いてみても子どもを持つことにマイナスなイメージを持つ子も多かったです。子どもが好きなのに、今の社会状況であるのであれば、子どもを産むことに対して躊躇する若者が多いんだということに気が付きました。そこで、実際に親になる前の私たちで1回子育ての環境について取り組み、自分たちの子育て環境を整えるというのはおもしろいのではないか、と。大変なことも多い子育てや出産・育児のことだけれど、今年考えることが将来の自分たちを救ったらそれも素敵なことだよね、とも。そこで、「未来の当事者」という若者だからこその新しい視点と行動力っていうもの二期待をして、周産期うつというテーマに向き合うことにしました。
ななみ:毎年社会的な流れを組んでいたり、若者ならではのできることであったり、今まで注目されてこなかったところに切り込むようなテーマを選んでこれたんじゃないかな?
ひな:そうですね。これから先もそんなテーマで取り組んでほしいなと思ったりしますね。
まむ:このように学生団体WAKA×YAMAは今年で創立から6年間、テーマを変え、また形も変えて引き継がれてきたと思います。団体としては成長した部分も大切に引き継いできたこともあると思うのですが、ここで皆さんにとって学生団体WAKA×YAMAがどういう存在なのか、そしてこれからどういうものになってほしいのかについてお聞きしたいなと思います。
では、七海さんから。
ななみ:私は結構概念的なんだけど、自分が代表の時は本当にゼロイチのところから始めたの。船に例えると船を作って旗を立てて「出行するぞ」のところをやってたなっていうイメージ 。その時の自分にとって学生団体WAKA×YAMAというのは、「あったらいいな」とか「やりたいな」みたいなふわっとしたものではなくて“あるべきもの”ぐらい、必然というイメージがすごい強くて。だからすごい馬力とエネルギーで周りの人を巻き込みながら進めていたなって思う。なんでそのあるべきものと思っていたかというと、まだ何者でもない学生の私たちから、自分の住んでる町・自分の住んでる社会を変えていこうと思う人たちが集まって、実際に行動に移せる場が和歌山県になかったから。そういうプログラムって都会でしかされていなくて、長時間かけて大阪や東京まで行って、そこで課題解決を行っても結局根付かないということを経験していて。誰も自分ごとじゃないというか、自分が生きてる場所じゃないから結局他人ごとの課題に、その限定の期間だけ取り組んで、空中分解したり、いい経験だったね、の感想で終わる、みたいなことが結構多くて。
和歌山に住んでいても高校から大学に上がる時点で県外に出ていく人も多くて。「和歌山、何もないやん」という人が多い。でも私は何もないなら作ったらいいやんと思ったし、作るべきやんと思って作りました。
だから私にとっては必然であり、あってしかるべきものという認識がはじめはありました。
今は逆に自分が船を動かしてるっていうよりかは、みんなが動かしてくれてる船に乗せてもらっている、新しい世界を見に行かせてもらっている感じです。
毎年、その時の大学生、主に18~20代前半の子たちが課題に感じていて社会的にも課題になってるものをテーマ にしてるので。自分が元々はそこまでホットトピックだと思ってなかったことでも「それってすごく課題だな」とか「それ和歌山でやったらめっちゃ面白い」みたいな、新しい世界を見せてもらっているという感覚がすごく強いです。ひなちゃんはどうですか?
ひな:私はななみさんが作ってくれた船に最初の年に乗ったメンバーでもあり、そのかじ取りを最初に引き継いだのかなという風に思っています。その船に高校生の時に乗せてもらった時は、将来の夢も当時頑張りたいことも見つかっていなくて。でも、ふとしたきっかけでこの人のために動きたい!っていう原動力ができて、アイデアソンに参加していろんな人にお会いして。自分にとってとても大切な経験だったからこそ代表を引き継いだし、今こうして大学に進学して私の周りの大切な人たちに出会えたのも全部元をたどればこのアイデアソンに参加したからなので。そういう意味で感謝してもしきれないと思ってます。
代表を務めていた時は、ななみさんが作ってくれた船にエンジンをつけることが目標でした。今振り返っても、あの1年は団体を持続的なものにするための基盤を整える期間だったなという風に思うし、それが私の中での目標で。協賛を含めた資金面、グッズ、地域の方々との繋がりなど、様々な面でいかに次に引き継げるかを考え続けていました。
今の私にとってもこの団体での経験はすごく活きていて。大学1年生の頃からたくさん和歌山で活躍する方々とお会いして、一緒に和歌山をよりよくしていこうね、と握手してくれる方々の存在は私の中ではとても大きかったです。高校生の頃も今もこれからも、ずっと私の原点であり、いつでも帰ってこられる場所であり、ふるさとであり、っていう感じかな。
次、私の後をついでくれたりょうた、どう?
りょうた:今ひなが言ってくれたように2020の段階で、ある程度団体の骨格は作られていて。
じゃあ自分の役割ってどういうところかなと思った時、いかにその船をしっかりさせるかみたいな。いかに団体を成長させるか、かなと。僕のイメージで行くと、どんだけその茎を伸ばして葉を大きくして、実る果実を大きくしてどんだけ深く根を張るかみたいなっていうところが、次のステップのところに行くっていうことであり、 自分にとっての役割かなって思っていました。
その時に目指したことと言ったら、植物では当たり前かもしれないけど、多分果物がうまくなるより先に多分先に根を張った方が良くて、その深く根を張るっていうところが、団体だと協賛周りだったりとかアドバイザーサポーターお願いするだとか、なんかそういうところにあたるんじゃないかな。特に僕がやった防災というテーマって本当にいろんな人に繋がって。この人のつてで次の人、でその次の人みたいに。だからこそ地域に根をちょっとずつだけど伸ばせているって感覚があって。じゃあ実際にアイデアソンの期間ではその準備した土台からどんだけ成果を出せるか、果物でいうならもどれだけ大きくおいしくできるかなということを考えていたかな。かっこいい風に言うと、その実った果物が社会という地面みたいなところに貢献できないかな、であったり栄養のあるものを作れるかなっていうようなことを当時は考えていたかなっていう風に思います。
今に関しては、アイデアソンという骨格はできててる状態から大きくした団体をまむに引き継いで。より深く根を張っていって得られる果物をどんどんいいものにしていく、そこにこだわっていくのか、それか別の畑のところに行って新しく何かを始めるのかもしくはそれ以外か。
この団体がどこに向かっていくのか分からないけど、どうあったとしても僕にとってこの団体が、和歌山にとって、そして社会にとって、ずっと必要とされる存在であってほしいなという風に思っています。
また、これからどうなっていくか分からないけど、ななみさんが立ち上げて今まで受け継いできたというところの思いだとか不条理な行きづらさをなくすっていうところは忘れずに。ただ和歌山っていうこの地域で育ててもらったこの団体が和歌山県において必要とされる場所、必要とされる人の集まりであってほしいなては思っています。まむさんどう?
まむ:2020年に参加したのが団体と関わることになったきっかけなんですけれど。当時参加して、理不尽だな、とかこの環境おかしいんじゃないかなって思ったことって我慢するだけじゃなくて変えられる道もあるんだなっていうこと知ったのが、ここにいたいって思った理由だと思います。
元々いろんなことを「まあ、仕方ないよね」とか「諦めた方が早いんじゃないかな」ていう言葉で片付けていたけれど、自分がもうちょっと生きたい明日であったり、そんな未来を叶えるために自分が行動するっていうのも1つの選択肢 してあるっていうのがすごく自分にとって希望だったかな。2023年度、そういう思いをしてくれる中高生が1人でも増えたらいいなと思って代表を引き継ぎました。
今の自分にとって学生団体WAKA×YAMAでやるべきことというのは、今ある船から新たな道を進む船を作ることかな、って思ったりします。新たな選択肢、新しい世界を見に行くっていう船かな。
WAKA×YAMAとして大切にしたい大きな船を残しつつ、でも新しい世界を知りたい、開拓していく。そういう未来があってもいいんじゃないかなっていう風に思っていますね。
ひな:まむの話を聞いて、団体ロゴに あるタンポポが近いなっていう風に思った!元々タンポポが団体ロゴになった時、綿毛ができてふわふわ飛んでいってくれて、それぞれのところでそれぞれがまた花を咲かせて、またそれが綿になって…そういう社会が続いていってほしい、というななみさんが当時タンポポに込めた思いが今もまむに引き継がれているのが、団体として大事にしているものはずっと引き継がれているなっていう風に思った。
りょうた:確かに。その実際さ、元々1個の綿やったわけやんか。その綿毛が他のところに行くっていう子たちもあるし、まむみたいにその綿毛としてこっちに戻ってきて。それこそ今メンバーにいるきらぎとか呼春(両名2021参加中高生・現運営メンバー)みたいに参加者の子が団体に運営側に戻ってくるっていう風になるのは、1個のタンポポの綿の飛び方ではあると思うし、また別のとこで僕らが知らないところで咲かしている綿だってあるかもしれない。綿毛っていう自覚は多分まむにはないと思うけど。
まむ:え、綿毛です。私。
ななみ:お話聞いてて嬉しいなっていう気持ちがすごい大きいね。でも、そう。私の中で学生団体WAKA×YAMAと関わる時に、2つの面が自分の中にあって。
1つはめちゃくちゃ向上心に溢れてる自分。私たちならできる、私たちにしかできないことがあるって思う自分ね。しかも この団体っていろんなタイプの子がいるから、それぞれの専門性があっていいよね。デザインめっちゃ得意な子もいれば、医学的なバックグラウンドがある子もいれば、文献を調べてまとめるとかが得意っていう子がいたりとか。だから専門を生かしてEvidence basedに、もう世界の最先端を先取りしてやっていってほしい!みたいにすごく向上心溢れる自分もいる。
一方で、社会で生きているとどうしようもできない壁にぶち当たったりとか解決策のない問題にあたったりすることもたくさんあって。自分がどうしても高い理想を掲げるがゆえに責任感強くて、いろんな社会課題に敏感であるがゆえにうまくいかないなって思うこともたくさんあって。そんな時にこの団体に関わったら本当に希望が持てるじゃないけど、自分のホーム的な役割も本当にあるなぁ。この一面っていうのは、ここに関わることによって「今の社会に絶望しなくてもいいんだ」っていう安心感を得に来ている部分もすごいあるなって思う。そういう安心感があるから逆に外向きに頑張れる気がする。
私がいつも言ってる、「みんなにとって、この団体が希望であり続けて欲しいな」っていうのは、いろんな意味の”希望”。頑張ろうって思えるとかもそうだし、団体と関わることで、「あ、世の中捨てたのじゃない」とか、「この子たちが作っていく社会を見てたいな」「このアイデアが実現されたらどうなるんやろな」とか、ちょっと関わった人の気持ちが明るくなるような場所であってほしいなと思っています。みんなにとって、そうであってくれたら私は嬉しいな。
ひな:確かに七海さんと第3の プラットフォームにしたいよねって話を昔よくしていたような。和歌山の高校生って、学校と家と塾の往復しかしていない子が多い気がする。高校生のうちって可能性に溢れているのに、その3年間を学校と家と塾の往復で終わらせちゃうのはすごくもったいないよね、と。それをふと思い出したし、私も社会人を来年に控えて思うのはWAKA×YAMAが、ずっと帰ってきたいって思う場所でありつづけてほしいってこと。そういう場所があることって本当に本当に大事だなと思う。第3の場所が何個あってもいいと思うけど 、その大事さを自分自身も感じてるからこそ、これまで関わってくれた大学生にとっても中高生にとっても、ずっとずっと変わらずに大事な居場所であり続けてほしいなと思いますね。
まむ:そうですね。私自身もこの場所に帰ってきた一員として、変わらず大好きな場所でありつつ刺激をもらえる場所でもあり、成長できる場所でもあり。和歌山っていう地域にあいいされる存在であり。そんな団体であり続けてくれたらうれしいなと思います。
そうあるためにも、まずは目の前のシンポジウム、ですね。これまで関わってくださった皆さんの想いも詰まった今年度のシンポジウムを、素敵なものにできるよう、頑張りたいと思います。